東京地方裁判所 昭和46年(ワ)9074号 判決 1975年1月29日
原告 株式会社 第二藤井荘
右代表者代表取締役 藤井孝
右訴訟代理人弁護士 片村光雄
同 菊池章
被告 株式会社 三井銀行
右代表者代表取締役 田中久兵衛
右訴訟代理人弁護士 各務勇
同 牧野彊
主文
一 原告の主位的請求を棄却する。
二(一) 被告は原告に対し金五〇万円およびこれに対する昭和四六年一〇月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 原告の予備的請求中その余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告、その余を原告の各負担とする。
四 この判決は第二(一)項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 被告は原告に対し金五、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四六年一〇月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二 被告(請求の趣旨に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二当事者の主張
一 原告(請求原因)
1 原告は宅地建物の造成ならびに賃貸を業とするもの、被告は銀行業を営むものである。
2 (事件の概要)
(一) 原告は、昭和四二年一〇月四日以降、訴取下前の共同被告第三信用組合(以下「第三信用」という。)と信用組合取引契約を締結し、金員借入・手形割引および当座取引等を行ってきたところ、原告と代表者(当時の代表者藤井成一)を同一にする訴外第一麻袋工業株式会社(以下「第一麻袋」という。)が不渡手形を出し、昭和四六年三月一〇日銀行取引停止処分を受けたことを理由に、第三信用は原告に対しても当座取引契約を解約した。右解約後である昭和四六年四月三〇日、被告銀行錦糸町支店が持出銀行となって、別紙手形目録記載の約束手形(以下「本件手形」という。)が東京手形交換所の手形交換に付された。
(二) ところが、支払銀行たる第三信用浅草支店の職員である訴外坪井勝彦は、本件手形を第一麻袋振出の手形と誤認し、「取引停止処分後の解約」なる理由により本件手形の支払を拒絶し、その旨を記載した符箋を付して、本件手形を持出銀行たる被告銀行錦糸町支店に返還した。
(三) そして、第三信用浅草支店は昭和四六年四月三〇日東京手形交換所に対し、本件手形につき前記不渡事由を記載した不渡届(乙片)を提出し、被告銀行錦糸町支店も同年五月一日、東京手形交換所に対し、本件手形につき前記不渡事由を記載した不渡届(甲片)を提出した。そして、原告は同年五月七日取引停止処分に処せられた。
3 (被告の責任)
(一) (委任契約上の債務不履行)
これより先同年五月一日午前一一時ころ、原告代表者藤井成一は、被告銀行錦糸町支店に手形金額と同額の金員を支払って本件手形を買戻し、同支店に対し、不渡届消印手続依頼書および不渡手形受領証を提出し、これにより原告と同支店との間に、不渡届消印手続の委任契約が成立した。
それ故、同支店は、右委任の趣旨に従い、不渡届(甲片)を東京手形交換所に提出するにあたり、消印手続をなし、原告が取引停止処分をうけないようにする義務がある。しかるに、同支店次長訴外沼田三雄は、本件手形の符箋に「取引停止処分後の解約」なる支払拒絶理由が記載されていたのをそのまま軽信し、かつ、原告が本件手形を買戻した事実を看過し、消印手続をしないで不渡届(甲片)を提出したため、前記のような原告に対する取引停止処分を惹起したのであるから、被告は原告に対する債務不履行の責任を免れない。
(二) (不法行為上の責任①)
仮に右主張が理由がないとしても、沼田三雄は、不渡届を提出するにあたり、原告が本件手形を買戻した事実を確認し、消印手続をなすべき注意義務があったにかかわらず、これを怠り、本件手形の符箋に記載された支払拒絶事由を軽信して不渡届を提出し、原告をして取引停止処分を受けるに至らしめた。沼田の右行為は、被告の事業の執行につきなされたものであるから、被告は沼田の過失により原告の蒙った損害を賠償する責任がある。
(三) (不法行為責任②)
仮に右主張が理由がないとしても、原告代表者藤井成一は昭和四六年五月八日、原告が取引停止処分に処せられたことを知り、即日被告銀行錦糸町支店に赴き、同支店貸付係長訴外岡芹昭夫に対し、右取引停止処分は、前記沼田が手形買戻の事実を看過し、消印手続をとらないで不渡届を提出したためになされたものであるから、錯誤を理由に右取引停止処分の取消を請求する措置をとってくれるよう依頼をした。しかるに、右岡芹は、不当にも右依頼を聞き入ず、取消請求の措置に出なかったため、右取引停止処分はそのまま維持された。岡芹の右行為は、被告の事業の執行につきなされたものであるから、被告は、岡芹の過失によって原告の蒙った損害を賠償する責任がある。
4 損害
原告は被告の債務不履行または不法行為により、左のとおり金八、九〇〇万円の損害を蒙った。
(一) マンション建設計画挫折による損害 金七、九〇〇万円
(1) 原告は、昭和四六年三月ころより訴外株式会社丸正佐藤英工務店から別紙土地目録記載の土地二筆を買取ってマンション「紅コーポ」を建設し、これを分譲する計画を準備中であった。
(2) 原告は、同年四月二二日までに右計画の資金面の準備として、訴外桑畑耕を介し、訴外朝日信用組合に金四、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円の住宅ローンの提携の申入れをなし、かつマンション建設費の内金二、〇〇〇万円の借入方を申入れ、いずれもその内諾を得ていた。また、同月二六日頃、訴外嶺田良(全国麻袋工業協同組合理事長)から金一、二五〇万円を借入れる旨の約束ができており、さらに原告代表者藤井成一の知人である訴外河野真より金二、〇〇〇万円の融資をうけることとなっていた。
(3) 一方工事については、総工費金六、五〇〇万円を目標に訴外住友建設工業株式会社、同春日建設株式会社に見積りを依頼し、広告に関しては、前記桑畑に、京成電車中つりポスター(四日間)、総武線電車中つりポスター(二日間)、新聞差入(朝日新聞二日)、その他電通との広告契約(のぼり三〇本の製作)等の広告作業を依頼し、着々と準備行為をすすめ、完成後のマンション分譲については、すでに申込者を多数獲得していた。
(4) 被告は、右事情を予見しまたは予見することができた。すなわち、原告代表者藤井成一は、前記のとおり昭和四六年五月八日、被告銀行錦糸町支店貸付係長岡芹昭夫に対し、錯誤を理由とする取引停止処分の取消を請求する措置をとるよう依頼した際、原告がマンション建設計画を有していること、右取消がなされねば、右建設計画が挫折することを告げたものである。
(5) マンションの分譲予定価格の総額は金一億九、五一五万円であり、右金額から土地買戻金四、五〇〇万円、マンション建設費用金六、五〇〇万円、広告費金二五〇万円、金利三六五万円の合計金一億一、六一五万円を差引いた金七、九〇〇万円が、原告の得べかりし利益であったところ、前記不渡処分の情報が流れ、原告は取引先からの電話の応待に腐心せざるをえないこととなり、また資金面の話も行詰って、マンション建設計画挫折のやむなきに至り、前記得べかりし利益を喪失した。
(二) 慰謝料 金一、〇〇〇万円
原告は、本件取引停止処分により、いちじるしくその信用を失墜し、爾後の事業遂行に計り知れない打撃を蒙った。これについては、金一、〇〇〇万円をもって慰謝されるべきである。
5 結論
よって、原告は被告に対し、右損害金合計八、九〇〇万円の内金五、〇〇〇万円とこれに対する弁済期後である昭和四六年一〇月二二日から完済に至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告(請求原因に対する認否)
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 請求原因2の(一)の事実は認める。
(二) 同2の(二)の事実中、第三信用浅草支店の職員坪井勝彦が、本件手形を第一麻袋振出の手形と誤認したとの点は不知。その余の事実は認める。
(三) 同2の(三)の事実は認める。
3(一) 請求原因3の(一)の事実中、昭和四六年五月一日、原告代表者藤井成一が被告銀行錦糸町支店に本件手形の手形金額と同額の金額を支払い、右手形を同支店から買戻した事実、同銀行が消印手続をしないで不渡届を提出した事実は認める。その余の事実は否認する。
(二) 同三の(二)の事実中、不渡届提出、取引停止処分の事実は認め、その余の事実は否認する。
被告は原告に対し、消印手続をなすべき注意義務も負担していないし、また本件手形の符箋に記載された支払拒絶理由を軽信して右注意義務に違反したこともない。すなわち、
(1) 本件当時施行されていた東京手形交換所交換規則(以下「交換規則」という。)第二一条第一項は、「手形の返還を受けたる銀行は所定の書式により所定の時限までに其旨を当交換所に届出づることを要す。但支払義務者の信用に関せざるものと認めたる場合は此限に在らず」と規定しており、社団法人東京銀行協会手形交換所加盟銀行の社員総会決議「双方届出による不渡届(信用に関する一定の返還事由の不渡届)の取扱い」(昭和四〇年四月一日改正実施)においては、「(1)不渡返還事由が預金不足、資金不足、取引解約後、当座取引なし及び取引なしの手形・小切手については、すべて所定の書式により関係銀行の双方が届出るものとする」と定められており、本件のごとき不渡事由については双方届出を要することとなっていた。
このように不渡届に関して、双方届出の制度を設けた理由は、手形取引の信用を害した者のうちでも、預金不足、取引解約後等の特に悪質な理由によるものについては、関係銀行に不渡届を義務づけ、これらの者に取引停止処分という制裁を課して手形取引全般より排除することにあるのであるから、手形支払義務者が交換日の翌日営業時限までに不渡手形を買戻すほか、信用の回復に努め、不渡届を維持する必要が消滅したと認められる場合には、持出銀行に限り、消印手続(不渡届の所定の消印欄に押切印を押捺すること)をして届出ることができ、この消印欄に押切印のある届出については不渡届がなかったものとみなし、不渡報告への掲載を行わないのである(前記社員総会決議(3)(4))。このような制度の趣旨に鑑みると、消印手続をなすべきか否かは、交換所加盟銀行の判断と責任において果すべき交換所に対する職責であって、手形支払義務者に対して負担する義務ではない。まして、本件の場合、支払銀行たる第三信用から「取引停止処分後の解約」なる不渡事由が符箋に記載されてきたのであるから、たとえ、持出銀行が消印した不渡届を出しても消印の効力はなく(取引停止処分中((三年間))は不渡を何回演じても不渡がなかったものと同じ効果であり、従って、不渡報告への掲載も行わない。)、全く、消印手続をなすことが無意味な場合であり、被告銀行錦糸町支店もそのように判断して、不渡届を提出したものである。
(2) 本件のごとき不渡事由については、双方届を要することとなっており、かつ、その不渡事由は支払銀行が指定することになっている(交換規則第二〇条第一項)。また、双方届書式甲片と乙片は複写式となっていて、持出銀行が甲片により届出る不渡事由は、支払銀行において乙片に複写されて記載されている事由であって、甲片と乙片に記載された不渡事由が相違することはありえないし、また許されない。従って、支払銀行が一旦不渡事由を決定した以上、持出銀行はこれを信用するほかなく、一件毎に符箋の正誤につき支払銀行に照会し調査する義務はないし、仮に、右不渡事由が支払銀行の錯誤により誤っていた場合でもこれに従わねばならないのである。それ故、たとえ手形支払義務者が持出銀行にその誤りを指摘し、訂正を求めたとしても、支払銀行がその不渡事由を変更しない限り、持出銀行として一方的に手形支払義務者の要求に応ずることはできない。
(三) 同三の(三)の事実中、原告代表者藤井成一が、原告が取引停止処分を受けたことを知った時期の点については不知。その余の事実は否認する。
右藤井が被告銀行錦糸町支店に来店したのは、昭和四六年五月一〇日ころである。そして、藤井が来店した際述べた趣旨は、「取引停止処分になってしまったので、何とかこれを免れるよう相談に乗ってほしい。」ということであって、原告主張のごとき錯誤を理由とする取引停止処分の取消請求の依頼ではなかった。そこで、被告銀行錦糸町支店貸付係長岡芹昭夫は「支払銀行たる第三信用浅草支店に事情を説明し、原告が直接あるいは第三信用浅草支店を介して当店に連絡するように。」と助言した。そして、岡芹は藤井退店後同日中二度に亘って第三信用浅草支店に電話したが、第三信用からも原告からも何らの連絡もなかったため、とるべき措置がなかった。
のみならず、交換規則第二四条第一項は「取引停止の原因となりたる手形の不渡若しくは其取引停止に至るまでの手続が関係銀行の錯誤に因りし場合又は手形の偽造変造等に基きし場合に於ては当該関係銀行は取引停止処分の通知後一〇日以内に当交換所に其事情を具し取引停止処分の取消を請求することを得」と規定しており、本件の場合、右にいう当該関係銀行は手落ちのあった第三信用浅草支店であって、被告銀行錦糸町支店ではない。仮に藤井が取引停止処分の取消請求を依頼したとしても、岡芹は、その手続をするのは第三信用浅草支店であって、被告銀行錦糸町支店としては交換規則上右の手続をすることができない旨および第三信用浅草支店に依頼して取消してもらうように述べて、正当に藤井の依頼を拒絶したのである。
4 請求原因4の事実中、原告がマンションの設立を計画していたとの点は不知、その余の事実はすべて否認する。
三 被告(過失相殺の抗弁)
仮に、原告主張のマンション建設計画があったものとすれば、原告は、昭和四六年三月ころ、第三信用浅草支店から当座取引契約を解約されたのであるから、右解約後は、原告の信用状態を維持するに不可欠の手形決済を円滑ならしめるために、本件手形の受取人である訴外トヨタオート東都株式会社(以下「トヨタオート東都」という。)に対して、右手形を決済可能な手形と差しかえるなどして、本件手形の如き少額の手形の不渡事実の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、慢然とこれを放置した過失がある。従って、仮に被告に本件事故の責任があるとしても、賠償額算定につき右原告の過失が参酌されるべきである。
四 原告(抗弁に対する認否)
否認する。
第三証拠≪省略≫
理由
第一(取引停止処分に至る経過)
一 (本件手形の不渡返還)原告は宅地建物の造成ならびに賃貸を業とするもの、被告は銀行業を営むものであるが、原告は昭和四二年一〇月四日以降、第三信用と信用組合取引契約を締結し、金員借入、手形割引および当座取引等を行ってきたところ、原告と代表者(当時の代表者は藤井成一)を同一にする第一麻袋が不渡手形を出し、昭和四六年三月一〇日銀行取引停止処分を受けたことを理由に、第三信用は原告に対しても当座取引契約を解約した。右解約後である同年四月三〇日、被告錦糸町支店が持出銀行となって、支払場所を第三信用浅草支店とする本件手形が東京手形交換所の手形交換に付された。これに対し、支払銀行たる第三信用浅草支店の職員である用外坪井勝彦は、「取引停止処分後の解約」なる理由により本件手形の支払を拒絶し、その旨を記載した符箋を付して、本件手形を持出銀行たる被告銀行錦糸町支店に返還した。以上の事実は当事者間に争いがない。
二 (不渡事由記載の事情)≪証拠省略≫によれば、原告は以前に取引停止処分を受けたことはなかったが、前記のとおり第三信用浅草支店が第一麻袋の取引停止処分に伴い原告との当座取引契約をも解約した際、原告名義の当座預金元帳末尾の解約事由欄に、誤って「解約(取引停止処分)」と記載したため、坪井が右当座預金元帳を参照して本件手形の不渡事由を記載するにあたり、誤って「取引停止処分後の解約」との不渡事由を記載したものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
三 (不渡届)第三信用浅草支店が昭和四六年四月三〇日、東京手形交換所に対し、本件手形につき前記不渡事由を記載した不渡届(乙片)を提出し、被告銀行錦糸町支店も同年五月一日、東京手形交換所に対し、本件手形につき前記不渡事由を記載した不渡届(甲片)を提出したことは当事者間に争いがない。
四 (取引停止処分)ところで、手形の支払義務者に対し従前なされた取引停止処分の効力が継続中の場合には、当該手形の不渡を理由に不渡報告への掲載および再度の取引停止処分をすることを要しないこと後述のとおりであり(第二の一2参照)、本件において本件手形の不渡事由中に原告が取引停止処分を受けた旨記載されていたにかかわらず、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四六年五月六日配布の東京手形交換所不渡報告に掲載され、同月七日取引停止処分を受けたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない(原告が右同日取引停止処分を受けたことは当事者間に争いがない。以下「本件取引停止処分」という。)。これは、東京手形交換所が前記不渡届を受理したうえ、備付の資料を調査する等して、原告に対し従前取引停止処分がなされた事実がないことを確定し、不渡事由を「(取引)解約」に限局してなした措置および処分であると推認されるのであり、右認定を妨げる証拠はない。
第二(被告の債務不履行責任について)
一 (委任契約の成否)
1 本件取引停止処分に先立つ昭和四六年五月一日、原告代表者藤井成一が被告銀行錦糸町支店に手形金額と同額の金額を支払って本件手形を買戻したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、原告代表者藤井成一は右同日午前一一時ころ本件手形を買戻すと同時に、被告銀行錦糸町支店に対し、不渡届消印手続依頼書および不渡手形受領証を提出したことが認められる。
2 右にいう不渡届消印とは次のような措置をいう。すなわち、≪証拠省略≫によれば、交換規則第二一条第一項および社団法人東京銀行協会手形交換所加盟銀行の社員総会決議「双方届出による不渡届(信用に関する一定の返還事由の不渡届)の取扱い」(昭和四〇年四月一日改正実施)において、被告主張(事実摘示第二の二3(二)(1))のとおり、手形の支払義務者の信用に関する一定の返還事由の不渡届については関係銀行の双方が届出でなければならないとともに、持出銀行が交換日の翌日営業時限までに不渡手形の代り金を受領し、または買戻の行われたことを認めたものについては、持出銀行は不渡届の所定の消印欄に押切印を押捺して届出ることができ、この消印欄に押切印のある届出については、不渡届がなかったものとみなし、不渡報告への掲載は行わないと定められていたことが認められる。ただし、当該手形の支払義務者が従前取引停止処分を受けその効力が継続中の場合には、その者を手形取引から排除する目的は完結しているから、不渡報告への掲載、従ってこれを条件とする取引停止処分を要しないとするのが交換規則第二一条第二項本文の規定の合目的的解釈であるとすべきであるから、右の場合に、持出銀行が不渡届の所定の消印欄に押切印を押捺して届出ることは無意味なことであるとしなければならない。
3 しかし、消印手続が無意味であるからといって、持出銀行が手形の振出人から消印手続の依頼を引受けた事実そのものを否定しなければならないものでないこと当然であるから、消印手続が無意味であるから被告銀行錦糸町支店が原告代表者藤井成一から消印手続依頼書に基づき依頼を受けたことがないとする証人岡芹昭夫の供述はそのまま信用することができない。以上により、原告と被告銀行錦糸町支店との間に消印手続の委任契約が成立したとすべきである。
二 (被告の責任の有無)
1 そこで、被告に前記委任契約上の債務不履行責任があるかどうかについて検討するに、≪証拠省略≫によれば、被告銀行錦糸町支店の預金係長訴外金子貞三郎(原告は同支店次長沼田三雄がその衝に当ったと主張するが、≪証拠省略≫によれば、同人は昭和四六年七月七日同支店勤務となった者であることが認められるから、原告の主張は当らない。)は、第三信用浅草支店から返還された本件手形に貼付されていた符箋に不渡事由として「取引停止処分後の解約」と記載されていたため、原告に対する取引停止処分が継続中であるため、不渡届を提出しても何らの効果も生じないので、あえて消印手続をなす必要はないとの判断のもとに、本件手形の不渡届(甲片)所定の消印欄に押切印を押捺しないで不渡届出をなしたことが認められる(この点に関し、証人藤井成一は、被告銀行錦糸町支店が消印手続をしないまま、交換所に不渡届(甲片)を提出した理由は、同支店において、藤井が本件手形を買戻した事実を看過していたためである旨証言する。しかし、≪証拠省略≫によれば、本件手形は受取人であるトヨタオート東都から被告に対し譲渡担保として差入れてあった約束手形のうちの一通であるところ、本件手形および本件外の手形(額面二万一、〇〇〇円)が不渡となったため、被告とトヨタオート東都との約定にもとづき、右手形金合計三万七、一〇〇円を昭和四六年五月一日、同社名義の当座勘定より引落したのであるが、同日、藤井が本件手形を買戻したため、被告は同日、トヨタオート東都の当座勘定に入金して処理したことが認められる。従って、被告は本件手形が買戻され、手形金が入金されたことを知悉していたこと明らかであり、証人藤井成一の前記証言は採用できない。)。
2 ところで、本件取引停止処分は東京手形交換所が本件手形の不渡事由を「(取引)解約」ととらえてなしたものであること前認定のとおりであるから、被告銀行錦糸町支店が提出した不渡届の所定の消印欄に押切印が押捺されていたならば、不渡届出がなかったものとみなされ、不渡報告への掲載は行われなかったであろう。従って、被告銀行錦糸町支店が消印手続を行わなかったことと本件取引停止処分がされたこととの間の牽連性を否定することはできない。しかし、本件のごとき場合、不渡事由については、第一次的に支払銀行が判断決定し、決定された不渡事由は手形に付された符箋に記載して持出銀行に返還することになっている(交換規則第二〇条第一項)のであるから、支払銀行である第三信用が「取引停止処分後の解約」という不渡事由をもって本件手形の支払を拒絶し、その旨符箋に記載して本件手形を返還してきた以上、被告銀行錦糸町支店としては、右記載に従って処理せざるをえないことは事柄の性質上当然であり、大量の手形の簡易、迅速かつ正確な決済手段たる手形交換の性格からいってもやむをえないところである。支払銀行が一旦決定した不渡事由の真否について逐一これを調査すべき義務を持出銀行に課することはできない。このように持出銀行が「取引停止処分後の解約」という符箋記載の不渡事由を前提として処理すれば足りるとする以上、先に認定した被告銀行錦糸町支店の判断は正当として是認することができ、同支店がかかる判断に基づいて消印手続をとらなかったことを非難することはできない。従って、被告には責に帰すべき事由があるとはいえないから、債務不履行の責任はない。
第三(被告の不法行為責任について―その一)
被告銀行錦糸町支店の従業員金子貞三郎(沼田三雄ではない。)が「取引停止処分後の解約」という符箋記載の不渡事由を前提として、消印手続をとらないで、本件手形の不渡届を提出した行為は先に説明したと同一の理由により同人の過失と評価することはできない。それ故、消印手続をとらないで不渡届を提出したことを過失であるとして、被告の不法行為責任をいう原告の主張は、爾余の点について判断するまでもなく失当とすべきである。
第四(被告の不法行為責任について―その二)
一 ≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。
原告代表者藤井成一は、本件手形を買戻したのであるから、取引停止処分になることなど考えてもいなかったところ、昭和四六年五月八日になって、知人から、原告が本件取引停止処分を受けた旨知らされ、驚いて、事情を確認するため、直ちに第三信用浅草支店に電話連絡し、同支店の訴外川島次長に本件取引停止処分を撤回してもらう方法を尋ねた。川島次長は「五月一二日ころまでなら被告銀行錦糸町支店に行き事情を話せば、簡単な手続で取消ができる筈であるから、とにかく被告銀行錦糸町支店へ行ってみたらどうか。」と回答した。そこで、原告代表者藤井成一は同日午後一時ころ、被告銀行錦糸町支店に赴き、同支店の貸付係長訴外岡芹昭夫に対し、本件手形の不渡事由として符箋に記載されているように原告が従前取引停止処分を受けたことはないことを説明するとともに「振出手形を満期の翌日同支店で買戻したにもかかわらず、取引停止処分を受けてしまった。取引停止処分を受けたことを訴外住宅金融公庫に知られると、借受金一、九〇〇万円の全額を一時に償還しなければならなくなる。更に原告が現在計画中のマンション建設工事代金の半分は手形によって決済する予定であるのに、これができなくなる。何とか早急に取引停止処分の撤回の手続をして貰いたい。」旨の申出をした。しかし、岡芹はなんらの調査をすることもなく、原告代表者藤井成一に対し、「被告銀行錦糸町支店と原告とは取引関係になく、原告が買戻をしたのにどういう経緯で取引停止処分を受けたのかよく解らないから、原告の取引銀行である第三信用浅草支店に行って、なぜ取引停止処分を受けたのか事実関係を確認したうえ、被告銀行錦糸町支店に連絡してほしい。」旨答えて藤井を帰えした。
岡芹は同日夕刻二度にわたり第三信用浅草支店に電話連絡したが、いずれも要領を得ない返事が返ってきたのみであったため、そのうち第三信用浅草支店から何か連絡があるだろうと思いそのまま放置した一方、藤井は第三信用浅草支店においても、また、被告銀行錦糸町支店においても本件取引停止処分の撤回方法についての具体的教示を受けることができなかったので、やむなく東京手形交換所に赴き、同所の係員に事情を話して相談したところ、支払銀行か持出銀行かに相談するよりほか方法がないと説明されて、困り果てたあげく、片村光雄弁護士(本件原告訴訟代理人)に相談し、その結果、第三信用浅草支店より交換規則第二三条の規定に基づき、本件取引停止処分の解除請求がなされ、昭和四六年七月一七日、原告に対する本件取引停止処分が七二日ぶりに解除された。
このように認められる。≪証拠判断省略≫
二 以上の事実関係に基づいて判断するに
1 ≪証拠省略≫によれば、交換規則第二四条の規定には、「1取引停止の原因となりたる手形の不渡若くは其取引停止に至るまでの手続が関係銀行の錯誤に因りし場合又は手形の偽造変造等に基きし場合に於ては当該関係銀行は取引停止処分の通知後一〇日以内に当交換所に其事情を具し取引停止処分の取消を請求(様式22参照)することを得 2前項の請求ありたるときは理事は審査委員の審議に付し其許否を決するものとす」と定められ、更に「交換規則第24条等の運用上の特例」(理事会決定昭和42・8・10実施)として、「東京手形交換所規則第24条第2項の規定にかかわらず、次の取扱いをすることができるものとする。(1)交換規則第21条第2項による取引停止処分または不渡報告(赤紙掲載)の原因が次に掲げる取扱錯誤による場合、当該関係銀行から『取引停止処分取消申請書』または『不渡報告(赤紙)抹消申請書』(様式38参照)を提出して、その取消または抹消方申出があったときは、交換所は直ちに取引停止処分の取消または不渡報告の抹消を行なうこととする。A不渡届の消印洩れ B取消届の提出失念 C不渡届(消印済)の提出遅延 D預金口座または残高の見誤り(以下省略)」と定められていることが認められる。叙上のうち錯誤による取消の制度は、不渡返還から取引停止処分に至るまでの手続において持出銀行、返還銀行に事務上の手違いがあり、そのため本来処分すべきでない者に取引停止処分をした場合に、手違いをした銀行が取消を請求することにより、被処分者を救済することを目的とするものであることが明白である。
2 そこで、被告銀行錦糸町支店が「関係銀行」に該当するかを検討するに、本件において、第三信用浅草支店は原告との当座取引契約を解除していたのであるから、原告が同支店を支払場所として提出した本件手形の支払を拒絶したことは正当であった。ただ、同支店が本件手形の支払拒絶事由を「取引停止処分後の解約」と記載した符箋を付して、本件手形を被告銀行錦糸町支店に返還したことは、原告が従前取引停止処分を受けていなかった以上、その限りで正確な措置ではなかった。しかし、前述のとおり、取引停止処分の効力が継続中の者が振出した手形が不渡となっても、再度取引停止処分はなされないのであるから、第三信用浅草支店のなした「取引停止処分後」なる符箋の記載部分が直接本件取引停止処分の原因をなしたという関係は成立しえない。事実、東京手形交換所は本件手形の不渡届受理後、原告について過去に取引停止処分がなされていないことを確定し、不渡事由を「(取引)解約」に限定してとらえた結果、本件取引停止処分がなされたものである。ところが、原告は交換日の翌日営業時限までに本件手形を買戻したのであるから、被告銀行錦糸町支店が不渡届出にあたり消印手続を履践していれば、不渡報告への掲載、これに続く取引停止処分はなされないものであったところ、被告銀行錦糸町支店において、前記のような不正確な符箋の記載をそのまま信頼し、消印をしなくても、不渡による何らの効果も生じないと判断して消印手続をしなかったため、原告が本件取引停止処分を受けることとなったのである。以上の経緯を辿ってみると、第三信用浅草支店が本件手形を被告銀行錦糸町支店に返還するにあたり、不渡事由を正確に記載していたならば、被告銀行錦糸町支店も消印手続をした不渡届を提出し、従って不渡届の提出がなかったものとみなされたであろうから、本件取引停止処分は、根本的には、第三信用浅草支店の符箋の記載に関する不正確な措置に由来するものではあるが、他方、被告銀行錦糸町支店が買戻消印の手続をしていたならば本件取引停止処分を招来しなかったという牽連性の存することも否定できない。被告銀行錦糸町支店が消印をしなくとも不渡による何らの効果も生じないとの判断に基づいて消印手続をしなかったことが過失であって、債務不履行もしくは不法行為を構成するかどうかにつき、これを消極に解すべきことは前記第二、第三で説明したところであるが、同支店がその点において無過失であるからといって、右の牽連性を阻却するものではない。
そして、前記交換規則にいう「錯誤」とは、客観的に考察して、あるべき手続と現実になされた手続とが符合していないというを意味し、関係者の行為に向けられる法的批難たる過失とは異なる概念であると解することが、あるべき手続に背馳した手続に関与して取引停止処分を導いた銀行のイニシアチーブによる取消請求によって被処分者を救済しようとする制度の趣旨に一層適合する所以であるから、取引停止処分と牽連性ある措置に出た銀行は、当該措置につき被処分者に対する債務不履行もしくは不法行為責任を負うべき過失があるかどうかにかかわらず、前記交換規則にいう「取引停止に至るまでの手続」において「錯誤」を招来した「関係銀行」であると解するのが相当であり、従って先に説示したところとあわせ考えると、被告銀行錦糸町支店も、第三信用浅草支店とともに、右の「関係銀行」に該当するとすべきである。
3 叙上のような立場にある被告銀行錦糸町支店は、先に本件手形の持出銀行として原告代表者藤井成一に本件手形の買戻をさせ、買戻消印手続依頼書を徴しているうえ、昭和四六年五月八日には右藤井から本件取引停止処分を撤回する手続をとってくれるよう申出を受けたのである。ここにおいて、被告銀行錦糸町支店は本件手形の符箋の記載(証人藤井成一の証言によると、同人は本件取引停止処分を受けたことにつき債権者である住宅金融公庫に釈明にいく途中本件手形の符箋をはがしてしまったが、被告銀行錦糸町支店貸付係長岡芹昭夫には記載内容を改めて説明したことが認められる。)によれば、従前取引停止処分を受けている原告に対し、何故再び本件取引停止処分がなされたか、もし右藤井のいうように原告が過去に取引停止処分を受けたことがないとすれば、本件手形が買戻されたにかかわらず、何故原告が本件取引停止処分を受けたかという諸点に関し、東京手形交換所に照会し、あるいは被告銀行錦糸町支店の帳簿その他を参照する等して調査し、はたしてこの件につき交換規則第二四条第一項所定の錯誤による取消請求をなしうるかを検討すべく、該調査検討を行なうことによって前記錯誤の存在が容易に判明するはずであるから、原告の申出の趣旨に添って東京手形交換所に対し本件取引停止処分の取消を請求すべきであった。右のような措置を求めることは、もとより銀行員に対し難きを強いるものではなく、むしろ信義則上当然に要請されるべき注意義務の範囲内に属することといわなければならない。
4 被告は、本件の場合交換規則第二四条第一項にいう関係銀行は手落ちのあった第三信用浅草支店であって、被告銀行錦糸町支店ではなく、取引停止処分の取消請求をなしうるのは第三信用浅草支店であると主張する。被告のいう手落ちとは、第三信用浅草支店が、従前取引停止処分に処せられていない原告振出の本件手形を不渡にして、被告銀行錦糸町支店に返還するに当り、符箋に前記のような不正確な記載をしたことを指摘し、これが本件取消停止処分の根本的原因をなすという趣旨であろう。当裁判所もその点において第三信用浅草支店をも関係銀行とみるものであり、更に進んで、第三信用浅草支店と被告銀行錦糸町支店のいずれに過失があったかという見地からこの種の取消請求事務の適正な配分を考えて、本件の場合、第三信用浅草支店こそが本件取引停止処分の取消請求をなすべきであるという見方をとるとしても、被告銀行錦糸町支店は、前述のとおり原告代表者藤井成一に本件手形の買戻をさせ、買戻消印手続依頼書を徴しているうえ、右藤井から本件取引停止処分を撤回する手続をとってくれるよう申出を受けた以上、本件取引停止処分に至る手続に関与した銀行として、速かに第三信用浅草支店と緊密な連絡をとり、同支店が調査のうえ本件取引停止処分の取消請求をなすよう助言ないし注意喚起を行い、原告のためを図ってやる措置をとるべきであり、これまた取引上の信義則から被告銀行錦糸町支店に要請されるところであり、同支店の義務であるとしなければならない。
5 しかるに、前記一に認定した事実に徴すれば、原告から本件取引停止処分の撤回手続の申出を受けた被告銀行錦糸町支店の貸付係長岡芹昭夫は前記3、4で説明したいずれの注意義務をも尽さなかったのであるから、同人に過失があるとすべく、これにより原告に対して取引停止処分の不利益を与えた同人の行為は被告の事業の執行に付きなされたものであることはいうまでもないから、被告は前記岡芹の行為により原告の蒙った損害を賠償すべき責任がある。
第五(原告の損害)
一 (財産的損害について)
≪証拠省略≫によれば、次の各事実を認めることができる。
1 原告は昭和四五年五月ころ、別紙土地目録記載の土地二筆(以下「本件各土地」という。)にまたがって鉄筋コンクリート地下一階地上五階のマンション建設を計画し、同年七月ころ訴外株式会社丸正佐藤英工務店(以下「佐藤英工務店」という。)を請負人として、本件各土地上に建っていた藤井所有建物の取り毀しを開始し、マンション建設工事に着工した。
2 しかし、その後、原告において建設工事代金を支払うことができなくなったため、昭和四六年二月一五日、藤井は別紙土地目録(一)記載の土地を、第一麻袋は同(二)記載の土地を、原告は建設途中の建物(地下一階および地上一階の途中まで進行中であった。)をいずれも佐藤英工務店に、現状のまま売却することを余儀なくされた。
3 ところが、同年三月ころ、佐藤英工務店から原告に対し、本件各土地および建設途中の建物の買戻要求がなされたので、原告はこれを受けて物件を買戻し、マンション建設を続行することとなり、資金調達方法を検討する一方、建設工事続行費用について訴外住友建設工業株式会社(以下「住友建設」という。)および同春日建設株式会社(以下「春日建設」という。)の二社に対し見積書を提出させた。右見積書において、住友建設は工事費用を六、一五四万二、二八〇円(ただし昇降機設備費用は含まれていない。)とし、取引方法として現金二分の一、手形二分の一と定めてはいるが、具体的な支払方法については何ら定めてはおらず、また、春日建設は工事費用を六、四九七万四、七四〇円(ただし昇降機設備費用は除く。)としているほか、取引方法については全く定めていない。
4 ところで、原告は工事続行のため次のとおりの資金計画を有していた。
(1) 建設工事費六、五〇〇万円、佐藤英工務店からの買戻代金四、五〇〇万円、以上費用合計一億一、〇〇〇万円であるが、とりあえずの資金としてはその約半額五、二五〇万円の現金があれば工事は順調に進行し、マンションの上棟まではこぎつけることができる。すなわち、本件土地等の買戻代金のうち、二、五〇〇万円を買戻時に支払い、残金二、〇〇〇万円は上棟時を満期とする手形で支払う。建設費用については、契約時点で七五〇万円を、着工時に一、〇〇〇万円を、上棟時に一、〇〇〇万円をそれぞれ支払い、残額は完成時に支払う。
(2) 上棟時にマンションの分譲を開始する。総売上高は一億九、六一五万円であるが、分譲開始と同時に八割は売却可能であるから、購入者から売買契約時に頭金として分譲価格の三五パーセントを徴収し、その合計が約五、五〇〇万円となるから、これを資金として工事を続行しマンションを完成させることができる。
原告は右のような計画のもとに、とりあえず必要な資金五、二五〇万円の調達に奔走したが、昭和四六年四月二五日、訴外領田良から一、二五〇万円を貸与するとの承諾を得たほかは、はかばかしくなかった。
5 原告は建設途中のマンション等を佐藤英工務店に売却する以前には、訴外朝日信用組合から分譲価格の四〇パーセントを月八厘五毛の利息、月一回で六〇回払いの住宅ローンの枠を組んでもらっていたのであるが、原告の計画が一旦挫折したため朝日信用組合との右契約は中断してしまっていた。その後、買戻して原告自身でマンション建設を続行することになり、改めて朝日信用組合に住宅ローンの枠を組んでくれるよう頼んだが、承諾を得られないまま、右申込は自然消滅した。
このように認められる。証人藤井成一は、訴外桑畑耕を通じて朝日信用組合に二、〇〇〇万円の融資を申し込み、同年四月二二日、その承諾を得た旨証言するが、右証言は証人桑畑耕の証言と対比するときはこれを採用することができない。また、証人藤井成一は訴外河野真から二、〇〇〇万円を借り受けることになっていた旨証言するが、右証言のみでは河野が原告に二、〇〇〇万円を貸与する用意があったとは未だこれを認定することができない。以上によれば、原告には上棟時までの建築資金五、二五〇万円のうち四、〇〇〇万円捻出のめどがついていないことになるし、また、仮りに上棟までこぎつけることができたとしても、マンション購入者のために住宅ローンを提供してくれる銀行がないのであるから、容易に買手のつくはずもなく、そうなれば、爾後の工事費を得る方法がないのであるから、いずれにしてもマンションは完成しなかったとしなければならない。
さらに、原告が当初において予定した資金のみで建設工事が進行するかどうかも著しく疑問である。すなわち、(一)原告は建設工事費を六、五〇〇万円とみているが、前示のとおり、住友建設は六、一五四万二、二八〇円と見積り、春日建設は六、四九七万四、七四〇円と見積ったが、いずれも昇降機工事費用は含まれておらず、これを含めると総額六、五〇〇万円で完成するかどうか疑問であるのみならず、原告の計画では請負人に契約時七五〇万円、着工時一、〇〇〇万円、上棟時一、〇〇〇万円を各支払い、残額を完成時に支払うことになっているが、請負人の側でこの支払条件を承諾するか否かも不確定である。(二)また、佐藤英工務店からの買戻代金にしても、四、五〇〇万円で合意に達するかどうかわからず、右代金額は原告の希望的観測にすぎないし、同工務店が代金の分割支払に応ずるかどうかも未定であった。
なお、証人桑畑耕は訴外岡崎工業株式会社千葉営業所長や訴外研数学館理事長ほか数名に「本件各土地および建設途中のマンションを買取り、完成させて分譲しないか。」と持ちかけたことがある旨証言しているが、このことは原告自身においてもすでに自力でマンションを建設分譲することを諦めていたことを窺わせる。
右のとおり、本件マンション建設計画挫折は原告が本件取引停止処分を受けたことを原因とするものではなく、それ以前において、資金面、マンション購入者のための住宅ローンの不備などから、すでに行詰っており、計画を遂行できる状態にはなかったのである。
したがって、原告が本件取引停止処分を受けることによりマンション建設計画に挫折をきたし、得べかりし利益を失ったとする原告主張は理由がない。
二 (慰藉料について)
上来縷述したとおり原告は昭和四六年五月七日東京手形交換所により、いわゆる取引停止処分に付せられ、同年七月一七日その解除を得たが、その間右処分を受けたことが取引先に流布されて当時の原告代表者であった藤井成一は債権者である住宅金融公庫に呼ばれてその釈明に腐心し、また、第三信用浅草支店および被告銀行錦糸町支店さらには手形交換所にまで赴いて事情の解明と処分の取消、解除の努力を余儀なくされ、更に弁護士を依頼して調査交渉の止むなきにいたるなど取引停止処分による原告の信用、名誉の失墜による無形の損害を回復するため物心両面に多大の苦痛をなめたものである。これらの事実に被告の被用者の過失、これが本件にしめる役割など諸般の事情を参酌すると原告の蒙った前記無形の損害に対する賠償としては金五〇万円をもって相当とする。
三 (過失相殺について)
≪証拠省略≫によれば、原告代表者藤井成一は第三信用浅草支店から当座取引契約を解約された際、原告がトヨタオート東都に対する自動車代金割賦払いのため振出し、受取人であるトヨタオート東都から被告に対し譲渡担保として差入れてあった約束手形のうち爾後逐次決済を要するもの(本件手形はそのうちの一通である。)の処理を第三信用浅草支店に相談し、買戻の方法を教えられてこれを実行してきたものであることが認められる。原告が該手形の不渡による取引停止処分を未然に防止する処置としてはこれをもって充分であるとしなければならず、更に進んでトヨタオート東都に対し先に振出した手形を当座決済の可能な手形と差しかえる等する必要があったとは考えられない。右と異なる見解を前提として原告の過失を主張し、賠償額算定につきこれを参酌すべきであるとする被告の抗弁は採用できない。
第六(結論)
以上によれば、原告の本訴請求のうち主位的請求たる債務不履行に基づく損害賠償請求は失当として棄却すべく、予備的請求たる不法行為に基づく損害賠償請求は、被告に対し金五〇万円およびこれに対する弁済期後である昭和四六年一〇月二二日以降支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 麻上正信 裁判官加藤誠は合議成立後職務代行を解かれたので署名押印することができない。裁判長裁判官 蕪山厳)
<以下省略>